メッセージ

私の英語とのかかわり

私と英語の出会いは、30年住んでいた長崎の町です。

観光地の近くに住んでいたので、普段の生活の中で「外人さん」を見ることがたくさんありました。

幼かった私は「違う言葉」に不思議な思いを感じたことを覚えています。

それから、小学6年になり、近くの教会のアメリカ人の牧師さんが児童センターで英語を教えてくれるというので、友達と遊びながら英語を見聞きしたのが「初めて英語を話した」体験です。

この頃は、ラジオのチャンネルを少しずつ回すと韓国や中国のラジオ放送がザーッという音の向こうで聞こえていました。「知らない国の知らない言葉」をわからないながらもじっと聞いていました。

中学生になり、教科として英語を学び始めましたが、成績は悪くはなかったものの良くもない・・そんな感じでしたが、3年生の時に通った塾の先生との出会いで成績が急に上がりました。

先生がとった方法は、「教科書丸暗記」一つ。私も何も考えず教科書をひたすら丸暗記して暗唱して書き出すという作業を毎日行いました。これだけで成績は上がるもので、それ以降私の英語学習は「覚えるまで音読」が基本になりました。

高校生になると、英語は教科として勉強はしたものの一旦休止期。学校の方針もあり、ほとんどの時間を数学に費やしました。この頃「海外文通」というものがあり、東ドイツの人と英語で文通を始めました。

親と先生の勧めで、短大の英文科に進学しました。この頃から少しずつドイツ語を勉強し始めました。英語と似たドイツ語の「構造」がとても面白かったです。

27歳くらいから、民間の語学教室でドイツ語を習いました。ドイツ語で会話ができることが楽しくて楽しくて、またまた英語は休止期に入りました。

ある日のこと、会社の帰りに外国人の女性が何かを呼び掛けている姿が目に入りました。話を聞いてみると、新しくできたショッピングセンターに行きたいが道がわからないとのこと。時間もあったので、ご案内することにしました。完璧な英語ではないけれど、言葉をつないでたくさん話をしたことがとても楽しかったです。その後、彼女の旦那さんとも合流。「妻を助けてくれたお礼に。」と食事をごちそうになりました。旦那さんは英語が話せませんでした。でも、奥さんが訳してくれる言葉を頼りに私の英語を一生懸命聞いてくれていました。
この体験は、「英語が使えることで体験できた」忘れられない思い出となりました。

結婚し、子育てをしながら忙しい日々を送っていましたが、私の中にある感情が芽生えました。

「英語でこれ!という自信を持ちたい」

会社員を続けることは自分には向かないとうっすら気づき始めていました。無理して勤めた会社では、私の方向性は会社ではないよと教えてくれる出来事がたくさん起こりました。それでもいわゆる「がんばりや」だった私は、他の選択肢は間違いと言わんばかりに、無理して耐える会社生活をつづけました。

そんな中、45歳から英検1級への挑戦をはじめました。落ちること12回。一番ダメなのは英作文でした。意見を書くということが日本語でも全くできない。意見と文句の区別がつきませんでした。自分の考えを述べようとすると「文句を言うな」という人が周りに多かったせいもあり、「自分の考えをもって、話したり書いたりするのは、私には必要ないこと」と思い込んでいました。ですので、意見をいうことが全くできませんでした。

日本語でも意見が作れないということに気づいたのが8回目に落ちた時です。英語さえできればいいというものではない。意見が大事とやっとわかり、日経新聞を読みながら「経済的に良いか悪いか」という意見を自分なりに考え始めました。

それでも最初は「正解の意見」を言おうとして、意見が出来ないことが多々ありました。いわゆる優等生型でがんばりやとして生きていると「周りを圧倒する完全正解」を求めてしまいます。英検の学習は、自分の人格にさえも気づかせてくれる、ありがたい機会でした。

そして13回目で合格。私がいただけたものは「英検1級」という資格と「題材から意見を作ることの大切さ」です。意見は文句でも批判でもないのです。「あなたが今いる場所を一つでも良い方向に動かすためのアイデア」です。

合格と同時に、英語教室を開講しました。英語教室では題材として「ニュース英語」を使っています。英語を学びながら、起こっている出来事に何らかの感情が動き、あなたの言葉になる・・それを目指しています。

また、あれだけ意見が作れなかった私が、現在は英作文練習の添削を請け負い、「意見の作り方」をお伝えしています。人生って何が起こるかわからないものですね。

長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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